1983年10月1日

東京都新宿区に生まれる。その後、東京都江戸川区清新町に育つ。

電車の駅名を覚えるのが趣味で、地下鉄東西線に乗るたびに駅名を大声で読み上げてうるさい!とよく言われた。

 

1988年12月

東京都板橋区成増に引っ越す。旭幼稚園。

 

1990年4月

板橋区立成増小学校入学

桜井君と友達で、牛乳瓶のふたの裏にイラストを書いたりしてのんびり過ごす。

 

中学受験のため4年生から塾(日能研成増校)に通う。受験直前に猛勉強に励む。23時就寝5時半起床みたいな生活をしていて、暗い冬の朝にこたつの中で理科のドリルをひたすら解いていたのを思い出す。いまでも「人生で一番頑張ったのはいつですか」と聞かれると迷わずこの時期を答える。

 

父親からもらった「東海道中膝栗毛」を読み「こんな面白いものがあるものか!」と驚嘆する。6年のとき作文でこのパロディ小説を書いてほめられる。

 

1996年4月

私立開成中学校入学

念願かなって第一志望の学校に入ったが、やはり上には上がいるもので、勉強の世界では勝負できない自分に気づき、江野澤君という友達の影響もあって、文学、音楽、アート、ダンスにのめりこむ。池袋リブロ、池袋WAVE、渋谷パルコミュージアム、東京都現代美術館、ワタリウム美術館などに通い込む。村上春樹、村上隆、カールステン・ニコライ、コーネリアス、珍しいキノコ舞踊団などにハマる。両親はこの趣味を理解して援助してくださって大変感謝している。

 

村田君、江口君と「トレインウォーカーズ」を結成。東京の電車沿線をぶっ通しで歩いて、面白いものを見つけて雑誌化する。

 

1999年4月

私立開成高校入学

幸い個性的であることを良しとする校風だったので、突っ張りながらものびのびと過ごす。

 

美術館通いがエスカレートして、行動範囲が関東一円に及ぶ。水戸や宇都宮の美術館へ毎月のようにプチ旅する。美術館に行った後、散歩していたのをきっかけに町歩きが新たな趣味となる。ホンマタカシや佐内正史の影響があって何でもない風景写真を撮りためる。

 

運動会で撮った写真を共有するために人生初のホームページ制作を行う。黒板にURLをデカデカと書いて誇らしげだったのを思い出す。

 

アートとITと都市に興味があって、芸大の先端芸術と慶應SFCと東大を受ける。芸大と東大は落ちて、慶應SFCに受かる。

 

2002年4月

慶應義塾大学環境情報学部入学

男子校で部活もやらず一人で黙々と生きてきたので人づきあいが下手くそで、みんな人づきあいがうまくてヘコむ。スペイン語集中コースを受ける。ここの友達とはうまくやれて何とか居場所を得る。

 

相変わらず歩くのが好きで、学校をさぼって湘南や鎌倉の里山を歩き回る。初めて泊まりがけの遠距離歩き旅(「霞ヶ浦」)を行い、足がボロボロになって泣きそうになる。それに懲りず「大阪」、「奥入瀬」、「天竜」、「那珂」といった長距離徒歩旅行を通じて、地域って面白いなあと思う。

 

バイトは塾講師を4年間務める。いきなり不良中学生を受け持ち、とても苦労するが楽しかった。

リアルの人づきあいの難しさがある一方、mixiやgreeといったオンライン上での人づきあいツールが出てきて面白いなあと思う。萩野達也研究室で「出会え系」というテーマで次世代Webの研究をさせていただく。卒業論文「SFC-Node: 最適な学習アドバイザとの 出会いを大学生に提供するシステムの提案」。

 

2006年4月

慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 修士課程 入学

学部では技術中心の勉強だったので、ユーザ視点のものづくりをしたいなあと思い中西泰人先生の門をたたく。社会学、とくにマルセル・モースとかカール・ポランニーとかイヴァン・イリイチとかの思想が好きで、経済的関係と社会的関係の間の根源的なつながりみたいなものをITで表現したいなあ、と思い模索する。eコマースとSNSの融合である。

 

本を読みつつプログラミングをして、"Salarm"(サラーム)という人力目覚まし時計や"BOZAAR"(ボザール)という貸し借りのためのオンラインマーケットを作ったりする。修士論文「個人間の信頼を媒体とする電子市場の構築」。

 

萩野先生からの縁で、桜井さんという編集者と出会い、Web関係の本を何冊か書かせていただく。特に『Web API実践リファレンスブック』は労苦の一冊で、萩野研の精鋭たちとチームを作って、いろいろと企画をして、高尾で合宿をして完成させたのをよく覚えている。人生で2番目に頑張った時期。

 

アルバイトでは萩野研の遠山さんの縁で、大学内の研究所でIT管理者の仕事をさせていただく。

 

スペイン語の寺田先生の縁で、英国ロンドンにて研究発表させていただく。そのついでで2週間ばかり滞在し、初の海外歩き旅を行う。湖水地方やスコットランドを歩き、イギリスの徒歩文化の先進性に触れる。ネス湖畔の山で凍死しそうになるが助けられる。人生何とかなるもんだと思う。

 

将来は自分で起業したいなあと思いながら、内容も方法も分からず、とりあえず大企業に就職しようと思う。なんか中途半端な気持ちで就職活動をして苦労する。

 

リクルート社をに受けに行ったときに、面接官1人に学生2人の集団面接で、隣に座っていた学生が「ヤフーBBの営業でトップセールスでした」とか言うし、僕は僕で「出会い系サイトを作ってました」とか言うしで、お互い変なやつだなあと思っていると、向こうが面接後にナンパしてきて、近くのカフェに入って、それが吉田君という友達である。

 

吉田君が「とにかくスゴいから来てよ」というので「アントレプレナー塾」に通い始める。「引き寄せの法則」とか「思考は現実化する」とかめちゃめちゃアヤシイこと言っているのでアヤシイところだなあ、と思いつつ、この新しい世界にのめりこむ。

 

卒業する時中西先生に言われた2つの事を良く覚えている。

①「やりたいこと」「やるべきこと」「できること」という3つの円を描き、そして、この円の重なるところをやりなさい、そうすればハッピーである。(これは中西先生の師である月尾嘉男先生の言葉とのこと)

② 出る杭は打たれるが、出過ぎる杭は打てない

 

2008年4月

三井情報株式会社 入社

キツイIT業界の中、社員の事を第一に考える優しい会社であった。上司の渡辺さん、神原さん、田中さん、森山さんは面倒見良く見てくださって本当に感謝している。私の配属された部署は米国製のIP電話を扱うニッチな業界だったので、上流から下流まですべて担当させていただきとても勉強になった。お客様からも多くを教わった。

 

開成の学校全体の同窓会に行った際に、2次会に連れてっていただき、浅沼さんという方と話していて、「ITをやっていて、将来起業したいと思っているんです」と言うと、青木さんいう方を紹介してくださる。青木さんを訪ねると、あるITカンファレンスに招待してくださり、そこは「地域活性にITをどう生かすか」のようなテーマで、そこにスピーカーでは無かったんだけど、注目されている女性がいて、四国を元気にしていて、今度新しい団体を作るという。それがトモさん(HIPの梅田智子さん)で、「ITをやっていて、旅が好きなんです」見たいな話をしたら、「ええやーん!今度イベントやるけん、ミーティング来てよー!」とスゴイ魅力的に言われて、ミーティングに行ってみると、トモさんはおらず、でも周りの方々がとてもウェルカムに受け入れてくれて、それがTeamJapanという団体で、第2回じも自慢に向けて準備をしている最中だった。秋田の簾内君とHP作成を担当させて頂けることになり、HPを作る。できたHPをめっちゃトモさんに誉められて嬉しかった。

 

じも自慢は大がかりなイベントで準備・当日でヘトヘトになったが、素晴らしい充実感だった。イベント後に3331の下で雑談しているときに、鳥取のコニタン(小西さん)と出会い、若い鳥取県応援団という団体があり、こんどイベントやるのでWebシステム作れる人を探している、というところでうまくマッチして、若い鳥取県応援団の仲間に入らせていただく。

 

若鳥では入ってすぐに「日本初! 目指せ60万Tweet! 24時間耐久ライブ中継. 県民人口より多くの意見を頂戴します!」というとんでもないハードなイベントに関わらせていただき、とてもやりがいがあった。特に、打ち上げの飲み会の楽しさはいまでもNo.1に楽しかった飲み会として覚えている。若鳥の先輩方は本当に優秀な方ばかりで大変勉強になった。

 

アントレプレナー塾には毎月通い、塾長の三丘さんはもちろんのこと、人生の大先輩の方々や同世代の方々と付き合って大変刺激を受ける。会場である共鳴館館長の福島さんから、新しい会社を作るので加藤君も仲間に入ってほしい、と声をかけてくださり転職をすることになる。

 

2011年4月

ドリームパートナーズ株式会社 入社

僕が入ったころのドリームはまだできて1年半の時期で、いろいろまだ作り途中だったので、みんなで制度や文化を作りながら進んでいく感じが楽しかった。最初の仕事がHP制作で、よい営業ツールとなり、いい仕事ができたと誇りに思っている。その後某食品メーカー専属のプロモーションアイドルチームのマネージャーを務める。日々スタッフやクライアントとのコミュニケーションの仕事で、「想いを伝える」って難しいけどやりがいのあることだなあ、と実感する。小椋さん他ドリームのみんな、スタッフのみんな、クライアントの斎藤さんや戸村さんからは多くを学ばせていただいた。

 

アントレ塾で出会った細川さんが「レゴ・シリアスプレイ」というワークショップをするというので参加してみる。レゴブロックを単なる遊びでは無くて、アイデア発想ツールとかチームビルディングのツールとして活用しよう、というコンセプトである。今回のテーマは自分の夢をレゴで表現する、というテーマで、僕は歩いている人の姿を作ったんだけど、これは何ですか、と聞かれて、「飛脚です」と思わず答えたのが飛脚の始まりで、三丘さんからも「飛脚っていいじゃないか」と言って下さり、何となく腹落ちする。翌月には「飛脚」という肩書の名刺を作っていた。

 

TeamJapanつながりの友人カナコさんが良くクラブに遊びに行っている話をしていて、僕も踊りたいなあと思って誘ってもらい、ある土曜日に日本橋のクラブで一晩踊り、その後ダンサーJackyの周りの人達で、朝の築地で寿司を食べに行き、向かいに座っていた石橋さんと話していると、今度「ダンスとソーシャルビジネス」をテーマにしたイベントをするという。何という組み合わせだと思いながら両方とも興味があったので翌週くらいに錦糸町のホールへ行くと文字通り前半はダンス公演で、後半にソーシャルビジネスのプレゼンテーションがあった。プレゼンターの一人が、「ヤドノマド」といって民宿をITで活性化しているという。興味があったので話に行くと「えー、ぜひ一緒にやりましょう!」といって、それがえっちゃん(長山悦子さん)であった。

 

えっちゃんが松戸でプレゼンする、といので松戸Mad Cityのイベントへ行く。彼女は「富山県の利賀村」という山奥の村に通っていて、その小さな山村に多くの若者が通っているのだという。面白そうだなと思うと、今度夏にアートイベントがあるという。今度柏でイベントがあり、そこにその関係者も来るよ、というので、今度は柏のGreen Drinksに行く。その時にはもう利賀村の地形図をなぜか僕は手にしていて、「利賀ゼミ」代表ぴささん(伊藤悠さん)に、利賀村に歩いてくぞ!と宣言して、きょとんとされる。

 

そんなわけで2011年夏、岐阜駅から利賀村目指して歩くことにする。「飛脚」という肩書を手にしたので、何か飛脚っぽいことをしたいなあと思い、ミュージシャンのYuhさんの両親の元へCDを届けたり、アートイベント(上畠アート)のチラシを配りながら歩き旅をする。ちょうどFacebookが浸透してきたころで、道中Facebookでレポートしていると反響が大きくて、これはよいツールだなと思う。1週間後に無事に到着、ゴールインの時にえっちゃんやぴささんがめっちゃハイテンションで迎えてくれてすごくうれしかったし、なぜかその時には村中に「飛脚が来る」という噂が広がっていて、みんなから飛脚、飛脚、って呼ばれて飛脚としてのアイデンティティが深く刻み込まれたし、なので利賀村はいまでも飛脚のふるさとである。

 

利賀村は本当に刺激的な場所で、利賀ゼミのメンバーともとても波長が合い、利賀村に通わせて頂く。特に、商工会の斉藤さん、「中の屋」の中西さん、高岡の由宇さんにはいろいろ応援くださって感謝している。とりわけ、商工会の松岡さんには可愛がっていただいたのだが、2012年春に松岡さんは急逝なさり、本当に悲しかった。その後の「しんりょく祭り」は松岡さんが直前まで尽力していたイベントであった。祭りは盛況であったが途中、急に空が暗くなって土砂降りが降ってきて、松岡さんのうれし涙だねー、なんてみんなで言っていて余計悲しくなった。

 

2011年の暮れに山形のGLY(Girl Loves Yamagata)りっちゃんから「山形で忘年会やるけどこないー」なんてメールが来たので山形まで行ってみる。年末の仕事を片付けて、新幹線に飛び乗ると福島駅を過ぎてから山形へ入る山越えで物凄い雪で真っ白でこんな量の雪は見たこと無くてびっくりする。開場は山辺町というところで、駅を下りた時にはすっかり夜になっていたのだが、雪の中を歩いていくと一軒の古民家について、中ですごく盛り上がっている。クリエーターズパーティといって、県内で面白いコトやっている人たちが集まっていて面白かった。そのあと何を思ったかこの雪の中「真冬の山形年越飛脚旅」という旅を始め、1度雪の中立ち往生して死にそうになったけど、1週間の旅の末、何とか日本海酒田港までたどり着いた。その中で、真室川の佐藤さんと三川町の斎藤さんには特にお世話になっていまでも懇意にさせていただいている。

 

それとは前後するのだけど、11年の秋にGLYのまいもちゃんから六本木農園でGreen Drinksやるよというので行ってみる。兼瀬さんという方がいて、妙に飛脚を気に入ってくださり、椎葉さんという方と飛脚で盛り上がる。椎葉さんは下北沢でTag Cafeというカフェをやっていて、そこにりっちゃんが出入りしていて、その縁ということ。椎葉さんは本業は映像作家であり、じゃあ飛脚のPV作ろう!ということで盛り上がる。本当に飛脚のPVは作製され、じゃあ完成イベントやろう、ここで飛脚デビューイベント「飛脚ナイト」を2012年に開催した。その後のTagCafeイベント「マケドニアナイト」も大成功で、TagCafeの皆さんには飛脚を育ててくださり感謝している。

 

やはり11年の暮れごろだったと思うが、HIP(Home Island Project)の飲み会が五反田であって、行くと久しぶりにトモさんに会えてうれしい。そのときトモさんの隣にいたのが丸尾さんで、飛脚を気に入ってくださり、「物ではなく物語を届ける」という素晴らしいキャッチコピーをその場で作ってくださる。その後丸尾さんには島フェスに毎年お手伝いさせていただいたり、島のイベントに出させていただいたりと本当に感謝している。

 

学歴
2002年3月 私立開成高等学校 卒業
2002年4月 慶應義塾大学環境情報学部 入学
 コンピュータープログラミング等を学ぶ
2006年3月 慶應義塾大学環境情報学部 卒業
2006年4月 慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 入学
 次世代コミュニケーション技術について研究
 修士号(メディア・デザイン, 2008年3月)
 著書『Web API実践リファレンスブック』(共著, 2007年5月, 毎日コミュニケーションズ)
2008年3月 慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 修了

職歴
2008年4月 三井情報株式会社 入社
 大手IT企業で技術者として勤務
 保険・金融会社を顧客とし、コールセンター等の通信設備の構築・保守業務を行う
2011年3月 三井情報株式会社 退職
2011年4月 ドリームパートナーズ株式会社 入社
 社員6名のベンチャー企業で勤務
 食品メーカーを顧客とし、スーパーマーケット店頭での商品販売促進に関する企画・実施を行う。
 顧客先ネットショップや自社ホームページの構築にも従事
2013年9月 ドリームパートナーズ株式会社 退職
2013年10月 飛脚の加藤 開業
 徒歩による郵便配達業、地域活性イベントの実施を行う
2014年4月 朝来市地域おこし協力隊 着任
 朝来市の非常勤嘱託員として、 人口約800名の奥銀谷地域の活性化のため、
 奥銀谷地域自治協議会を拠点に、各種イベントの実施、地域農業の応援、
 地域のおそうざい屋「ふれあい屋台おくがなや」の開業・運営を行う
2015年4月 朝来市消防団第3支団 入団
2017年3月 朝来市地域おこし協力隊 任期満了

2017年4月 社会福祉法人きらくえん いくの喜楽苑 入社

資格
2002年10月 普通自動車免許取得
2008年   基本情報技術者試験 合格
2014年11月 食品衛生責任者認定講習会 修了
2016年12月 介護職員初任者研修 修了

賞罰

2016年6月 第5回ふるさとウエディングコンクール 観光庁長官賞(「銀山町の歴史遺産ウエディング」)

2018年3月 平成29年度兵庫県自治学会賞(論文「移動式屋台店舗による地域おこしの試み」)

 

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はじめまして!

平成の時代に飛脚が復活!

飛脚の加藤はお届けものを「歩いて」運びながら、お客様の「想い」を宣伝します。

想いと感動を届けたい!そんなときに飛脚の加藤をぜひご利用ください。

運びながら宣伝します!

毎日ブログにその日の写真やエピソードを公開します。また、歩いている途中に現地でチラシを配ったり、お祝いのメッセージを集めたりします。そして、受け手の感動を名倍にも増幅させます!飛脚は運送屋であるとともに、歩く宣伝マンとして活動します。

ご利用例

  • 結婚式の祝電に!
  • 地域物産展の広告塔に!
  • 歴史ドラマの宣伝に!

料金は1歩1円(税込)です!

飛脚の1歩は96cm(2013年8月現在)なので、1kmあたり1,042円です。
1日40km歩くとすると、東京― 京都間の492kmを、13日、512,500円(諸経費込)でお届けします。 

いますぐご利用ください!

、、、と言いたいところですが、ちょっと「アフリカ」に行ってきます!
10月1日から30日までアフリカ・ボツワナに行ってきます。
11月11日から稼働できますので、お待ちください。

11月10日にはイベント「ボツワナイト!」も開催します。
※ アフリカへのお届けものも募集中です!
アフリカ飛脚旅の詳細へ!

飛脚の加藤

加藤貴之 かとうたかゆき 1983年10月1日生
[facebook]

 

<1歩1円>の徒歩オンリー宅配便を2013年10月1日から開始します。お届けするのは<あなたの想い>です。

 

これまで青森、山形、富山、鳥取、ペルー、マケドニア、イラン、などなど様々な地域を歩いて旅し、、その魅力を紹介するイベントを開催し、好評を博してきました。

 

もっともっと地域を歩き、世の中の毛細血管になりたい!そんな思いで、30歳になる今年10月1日に飛脚として独立することになりました。

 

尊敬する人物は松尾芭蕉、伊能忠敬、円空。

 

芭蕉さんの言うように<旅を住処に>しながら、世の中へのお役立ちができれば、と思っています。

 

今後とも<飛脚の加藤>をよろしくお願いします。

 

ご依頼・お問合せはメールもしくはお問合せフォームからどしどしお待ちしております!

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仲間を募集しています!

2018年の10月には飛脚が5000人くらいになって、日本と世界のすみずみに感動が日々流通している状態を目指しています。

 
飛脚になりたい方、飛脚をサポートしたい方がいらっしゃったら、ぜひご連絡ください!